少年の日記

オタクに可愛がられるボーちゃん 「ボーてゃん」

最近AVで抜けなくなってしまった話

たった今オナニーしようとしてたのですが、おかずを何にしようか考えている時に「そういえば俺、AVで抜けなくなったんだよな」と思い出したので、まあ、勢いで書きたいと思います。



ことのいきさつなんですけど






割と最近?にあった事件で、日本のAVの一部の無修正版が大量流失したんですね。

それで、ネットにそれがまだ残ってるわけですよ。







ウッヒョー
そう思うじゃないですか


でも、浅はかでした。俺は。
性欲に負け続けている俺 a.k.a Loserはただただエロのことしか頭になかっていなかったのです。




そう、







知ってしまいましてね・・・(暗黒微笑)














その動画、ただモザイクが外れてるだけじゃなくて、普通に監督とのやり取りとか、なんかそういうのも全部入ってるんですよ

要は編集すらされてない、本当のビデオって訳です。










ええ、いや、ね?うすうす気付いてはいましたけど、ねえ。

うーん


中出ししているかと思いきや、ゴムを二重にしてるし。

潮吹いてるかと思いきや、代わりになんか管からめっちゃ水出てるし。


なよなよしてる男、撮影外ではめっちゃベラベラ喋るし。



なんか

自分、泣けてきちゃいました

















それを友人に話したんですよ。


そしたら
「でも映画だってフィクションだし、それと同じじゃね?」






プチッ(堪忍袋の緒が切れる音)












あのですね、


私は彼の前で論破してしまいましたよ








映画でも確かにフィクションを前提としていますが、それは非常にファンタジックであり、非日常的なストーリーであるわけで、「ねらい」がそもそもAVと異なります



AVにおいては、タイトルからしてもうほぼ「日常」をベースにしているわけで、いかに「リアリティさ」を表現できるか。そこが求められているんですね。







ええ、映画の無修正版(は?)が流失したところでファンは喜ぶでしょう。

「すげえ!こうやってあのCGと戦ってるのか!」「ええっ!?ここの動き、ホンモノかよ!?」


ところがAV
「は?中に出してないじゃん」「潮は?」「お前本当は気持ち良くないんだな」




ねえ


映画はいかにフィクション要素を表現できるか

AVはいかにノンフィクション要素を表現できるか







わかりますか?



「は?本当に中に出してるわけないだろw」と煽るような人は、そもそもずれているんですね。この場合では。




なんか

結果 もうまともに見れなくて・・・
















中3の時、保健講話があったんですよ

そこで講師の方はみんなの前で、まあ性教育についてかなり生々しいものを語っていただいたわけですが



その時の講師のとある言葉を、僕は鮮明に覚えています


「AVは商品でしかありません」





ナニッ!?

ま、まあ、そうだな。動揺しちまったぜ。

いや、にしても・・・うーん・・・




と思っていると、講師は二度刺してきたわけです


「魅力的に作られた商品でしかないわけです」




オ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛(ポルチオを突かれたロリの叫び声くらいのデカさ)









なんか

負けました





追記:どう抜けばいいのか最近分からなくなってきたので、オカズの提供待ってます。外に漏らしません。